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- 内容紹介
国民的マンガ『ドラえもん』。この有名すぎるマンガの裏には、現代社会を予見したかのようなテーマが隠されている。
藤子・F・不二雄が描いた人間ドラマは、世の中の縮図だ!
なぜ、「クラスでいちばんかわいい女の子」しずかちゃんは、凡庸なのび太の妻となるのか?
なぜ、ジャイアンとスネ夫は、必ずタッグを組んでのび太をいじめるのか?
なぜ、のび太は、いじめっ子と絶縁する道を選べないのか?
なぜ、ドラえもんは、のび太を助けに学校には行けないのか?
なぜ、『ドラえもん』世界の住人は、ドラえもんが歩いていても驚かないのか?
世代論、女性学、政治学、教育論、郊外論……。『ドラえもん』を多角的に読み解けば、現代社会が見えてくる。
もしドラえもんが大学のテキストになったら? 楽しく読める「ドラえもん」講座!
※『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか』(PHP新書)を加筆のうえで、文庫化。
――――――――――――――――――――
本書では、『ドラえもん』をいくつかの角度から論じていく。
『ドラえもん』が描くもの、とくに「ひみつ道具」については、現実世界には存在しないものであり、たとえ二十二世紀になっても実用化不可能と思われるものが多い。とくに、タイムマシン系、多元宇宙系、空間ワープ系のものがそうで、まさに、奇妙奇天烈・摩訶不思議、奇想天外・四捨五入なものだ。
ところが、『ドラえもん』で描かれる人間関係は、現実世界の縮図でもあり、デフォルメでもあり、さらには、何かを隠蔽することで主張しているとも思われる、奥の深い、とても出前迅速・落書無用なものではない。
本書は、『ドラえもん』のホンワカパッパな社会学的考察である。 (「はじめに」より)
〈目次〉
はじめに──現実社会の縮図としての『ドラえもん』
講座1 ドラえもん世代学──「ドラえもん世代」は存在するのか
『ドラえもん』は時代の象徴ではない?
時代の空気とは無縁の誕生
アニメ史における『オバケのQ太郎』の位置
『ドラえもん』までの紆余曲折
失敗続きのSF設定なのに
一九六〇年代生まれは『ドラえもん』を読んでいなかった?
ドラえもんをめぐる三つの世代+団塊の世代
ロボットアニメとしての『ドラえもん』
のび太はいつ生まれたのか?
時間がループする落語的構造
のび太はなぜ永遠に小学生なのか?
講座2 ドラえもん書誌学──「六つのドラえもん」作品研究序説
大全集でパラレルワールドの全貌が明らかに
いくつもの第一回と最終回が存在した
ドラえもんとセワシの登場順の微妙な違い
ドラえもんは六回、登場していた
なぜCIAはドラえもんを捕獲に来ないのか?
最終回らしくない最初の「最終回」
最終回らしい二作目の最終回
『ドラえもん』『オバケのQ太郎』二本立て時代
最終回の、とりあえずの決定版
物語は終わらなければならない
衝撃の復活
ふたたび未来へ……と思ったら
「てんとう虫コミックス」の大ヒット
その後の大団円なき「最終回」
パラレルワールドとループ構造
最後の作品
講座3 ドラえもん女性学──源静香と「紅一点」のフェミニズム批判
のび太は義経、ドラえもんは弁慶だった
紅一点の戦闘美少女・源静香
男から見て「女はよくわからない」の象徴
「かわいい女の子」以外の役割がない
フェミニズム批判は正しいか?
「地球を救った少女」としての源静香
入浴シーン問題
男女雇用機会均等法第一世代としての源静香
絶対悪としての「ママ」
講座4 ドラえもん政治学──ジャイアンとスネ夫にみる日米関係
名前もまた様式である
民主主義の呪縛
国際政治学者が認めるジャイアン=アメリカ論
スネ夫・のび太同盟は必ず破綻する運命にある
日本政治におけるジャイアン的なるものとスネ夫的なるもの
政治家たちが『ドラえもん』から学べば
政治家になるための義務
講座5 ドラえもん教育学──のび太は日本最初のスクールカースト被害者なのか
見えないドラえもんから可視化されたドラえもんへ
のび太を助けに学校には行かないドラえもん
災厄の原因は学校であるにもかかわらず
「いじめ」そのものを笑いものにする
『ドラえもん』はいじめのルーツ?
スクールカーストにおける、のび太とスネ夫
上位カーストである出木杉君と源静香
講座6 ドラえもん郊外学──なぜ野比家は郊外に住んでいなければならないのか
のび太はどこに住んでいるのか
無国籍でもある『ドラえもん』
練馬区における現実はマンガを模倣する
野比家は借家である
団地ではないが「団地化された郊外」
「郊外の崩壊」前で止まった時間
のび太はなぜひとりっ子なのか?
野比家はなぜ一戸建てなのか?
おわりに──『ドラえもん』とは何か
藤子・F・不二雄が描いた人間ドラマは、世の中の縮図だ!
なぜ、「クラスでいちばんかわいい女の子」しずかちゃんは、凡庸なのび太の妻となるのか?
なぜ、ジャイアンとスネ夫は、必ずタッグを組んでのび太をいじめるのか?
なぜ、のび太は、いじめっ子と絶縁する道を選べないのか?
なぜ、ドラえもんは、のび太を助けに学校には行けないのか?
なぜ、『ドラえもん』世界の住人は、ドラえもんが歩いていても驚かないのか?
世代論、女性学、政治学、教育論、郊外論……。『ドラえもん』を多角的に読み解けば、現代社会が見えてくる。
もしドラえもんが大学のテキストになったら? 楽しく読める「ドラえもん」講座!
※『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか』(PHP新書)を加筆のうえで、文庫化。
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本書では、『ドラえもん』をいくつかの角度から論じていく。
『ドラえもん』が描くもの、とくに「ひみつ道具」については、現実世界には存在しないものであり、たとえ二十二世紀になっても実用化不可能と思われるものが多い。とくに、タイムマシン系、多元宇宙系、空間ワープ系のものがそうで、まさに、奇妙奇天烈・摩訶不思議、奇想天外・四捨五入なものだ。
ところが、『ドラえもん』で描かれる人間関係は、現実世界の縮図でもあり、デフォルメでもあり、さらには、何かを隠蔽することで主張しているとも思われる、奥の深い、とても出前迅速・落書無用なものではない。
本書は、『ドラえもん』のホンワカパッパな社会学的考察である。 (「はじめに」より)
〈目次〉
はじめに──現実社会の縮図としての『ドラえもん』
講座1 ドラえもん世代学──「ドラえもん世代」は存在するのか
『ドラえもん』は時代の象徴ではない?
時代の空気とは無縁の誕生
アニメ史における『オバケのQ太郎』の位置
『ドラえもん』までの紆余曲折
失敗続きのSF設定なのに
一九六〇年代生まれは『ドラえもん』を読んでいなかった?
ドラえもんをめぐる三つの世代+団塊の世代
ロボットアニメとしての『ドラえもん』
のび太はいつ生まれたのか?
時間がループする落語的構造
のび太はなぜ永遠に小学生なのか?
講座2 ドラえもん書誌学──「六つのドラえもん」作品研究序説
大全集でパラレルワールドの全貌が明らかに
いくつもの第一回と最終回が存在した
ドラえもんとセワシの登場順の微妙な違い
ドラえもんは六回、登場していた
なぜCIAはドラえもんを捕獲に来ないのか?
最終回らしくない最初の「最終回」
最終回らしい二作目の最終回
『ドラえもん』『オバケのQ太郎』二本立て時代
最終回の、とりあえずの決定版
物語は終わらなければならない
衝撃の復活
ふたたび未来へ……と思ったら
「てんとう虫コミックス」の大ヒット
その後の大団円なき「最終回」
パラレルワールドとループ構造
最後の作品
講座3 ドラえもん女性学──源静香と「紅一点」のフェミニズム批判
のび太は義経、ドラえもんは弁慶だった
紅一点の戦闘美少女・源静香
男から見て「女はよくわからない」の象徴
「かわいい女の子」以外の役割がない
フェミニズム批判は正しいか?
「地球を救った少女」としての源静香
入浴シーン問題
男女雇用機会均等法第一世代としての源静香
絶対悪としての「ママ」
講座4 ドラえもん政治学──ジャイアンとスネ夫にみる日米関係
名前もまた様式である
民主主義の呪縛
国際政治学者が認めるジャイアン=アメリカ論
スネ夫・のび太同盟は必ず破綻する運命にある
日本政治におけるジャイアン的なるものとスネ夫的なるもの
政治家たちが『ドラえもん』から学べば
政治家になるための義務
講座5 ドラえもん教育学──のび太は日本最初のスクールカースト被害者なのか
見えないドラえもんから可視化されたドラえもんへ
のび太を助けに学校には行かないドラえもん
災厄の原因は学校であるにもかかわらず
「いじめ」そのものを笑いものにする
『ドラえもん』はいじめのルーツ?
スクールカーストにおける、のび太とスネ夫
上位カーストである出木杉君と源静香
講座6 ドラえもん郊外学──なぜ野比家は郊外に住んでいなければならないのか
のび太はどこに住んでいるのか
無国籍でもある『ドラえもん』
練馬区における現実はマンガを模倣する
野比家は借家である
団地ではないが「団地化された郊外」
「郊外の崩壊」前で止まった時間
のび太はなぜひとりっ子なのか?
野比家はなぜ一戸建てなのか?
おわりに──『ドラえもん』とは何か